悶々。
・もうすぐ2ヶ月
あっという間に2ヶ月が経ち、このまま年末までノンストップが目に見えてきた感が否めない今日この頃。
・何が違うのか
周りには上司や同期(会社や大学)、後輩や先輩や、家族や友達がいて人的環境には本当に恵まれていると常々思っているのですが、身分や立場が違う人たちがたくさんいてそれぞれ思う部分が異なる。
当たり前のことなのですが、特に”学生と社会人”の違いについて考えることが増えました。
なぜ、そのような自問自答をしているのか。経緯はこのような感じです。
①学生の知り合いたちが羨ましく感じる瞬間がある
②思想や言論の自由があるからだと気づく
③自分から納得感を追い求めていく姿勢が失われつつあると気づく
④それが正しいのか善いのか、学生と社会人との違いなのか
「学生は青いな。社会のことを知らないからそんなことが言えるんだ」
とテンプレみたいな発想を持つことも難しくはないけど、そこまで社会のことを知らない。
すごく中途半端な立場だなとがっかりしながらも、学歴や年功で成功や失敗の価値を測られるのが嫌で、ここまできたのに結局年数が自分の物差しになっている気がして更なる悶々。どこまで行けば社会を語れる大人になれるのか。
暫定的結論:
時間は等価なので、今日の1日を自分に誇れるように形作る
ストレス
ストレス(Stress):緊張、圧力、強勢
人は常にストレスを感じて生きている。
テンションが張っている状態といってもいいと思います。
大きなストレスより小さなストレスの方が解消が難しいし、最終的に人の心を蝕むのは小さい些細なストレスなのではないでしょうか。
満員電車の中スマホを取り出し、人一人分の余空間を占拠している、怒りやストレスを雑音によって周囲にアピール、自らに非があるのに被害者ぶる、など。
自分から見ても他者から見ても取るに足りない、中には自分自身は被害や損害を被っていない事象にストレスを感じてしまうこともあると思います。
このように人に言うまでもない、むしろ人と会った時には自然と解消しているかに見えるこれらの微細なストレス群が、カビ菌のようにゾロゾロと人の心の隙間から隙間に繁殖しているのではないかなと。
しかし、変な言い方ですが。
それら些細なことがストレスに感じるのはストレスを需要している状態だからなのです。つまり、布地をピンと張った状態に何か小さい物体を落とすと、それらは高く反応して飛翔していくのではないでしょうか。
なので、私は常に心を芝生のようにふかふかの状態にしておくように心がけています。
そうすると些細なことは気にならなくなると共に、”気づき”が増えます。
本来なら”嫌い!ムカつく!”と跳ね返したものが、すっぽりと緩やかに落ちて行くようになるからです。
心に芝生を栽培しましょう。
2017年になって思得たこと。
初めて、ブログとやらを書きます。
2017年明けましてもうすぐ1ヶ月が経とうとしています。
そんな中、私は卒業論文を書き上げ、卒業単位も無事取得し、残すところ最初で最後の学会発表と卒業式となりました。それも終えたらいよいよ新社会人として4月から働くことになるわけですが、前厄なのです。
16年間の学校教育過程がやっとこさ幕を閉じると考えると、なんだか感慨深い思いがこみ上げてくると共に、そういった年に前厄であるのは何かある気がするのです。なので、前だけみてきた2016年を振り返り、現在2017年の足場が確認できればと思い筆を走らせている所存です。以下に私の大まかな年表を示します。
もちろん、周りの方の助力や縁なしにこの年表は成り立ちません。
2016年
•1~3月
独立論文を期限間際に提出して猛省
'15からの就活が収束に向かう
•4~6月
卒業論文を視野に入れ、題材を決定しプログラミングを始める
急性胃腸炎になり、疲れる
ミニ卒論の提出が決定する
•7~9月
ミニ卒論の提出により多少の安心感を得る
2年半続けたアルバイトをやめる
最後の夏休みを楽しむ(帯広、伊勢、長瀞、四国)
計画より良進捗な卒研でpythonが楽しくなる
金銭的な理由でアルバイトに出戻る
•10~12月
中間発表により4年生それぞれの違いに気づく
B4が学会発表の打診を受ける
一度研究の方向性を見失う
論文として綺麗な研究に苦心する
初めてつくばで年越しをする
こうしてみると如何に研究室漬けの年であったのか。
下半期での進捗報告で、指導教員から"面白い"と言われ、忘年会では"まともになった"と言われ、それらの言葉が本当に嬉しかったこと。
「狭く深くできない人は広く浅くできない」
入ゼミ前に言われた言葉がやっと実感できてきたように思えたこと。
何にでも面白さはあるんだと思えたこと。
2016年の全てに感謝だなと思います。
さて、残すところは学会発表と卒業式です。
それまでにやることは幾つか設定しました。
・研究室に在籍したことの証明が欲しくて、FE(基本情報技術者試験)を春に受験するので、その勉強
・動画が好きなので、動画処理系のdeep learningの実装
・関数型言語の勉強の目標として、scalaでの機械学習の実装
・卒業旅行
過去も振り返り、未来を見据えたところで今年の私の抱負は「心技体」です。
心:穏やかな心持ちでいたい -> 余裕のある生活
技:確かな技能や技術の探求 -> 計画目標の設定
体:健康や怪我に気をつける -> リスク軽減
結果を追い求めるのではなく、やり方を模索したい
とにかく何か結果を出さなければ、何かなければ評価されない。
評価されなければ存在価値が減少していく、と思い、付け焼き刃でも計画立ててでも”形”を作ることに拘ってきた2016年。
2017年はそういうことを一旦やめてみようと思います。
というより、拘りを薄くする努力やゆとりを持とうと思います。
"何かもっと良い、綺麗な、明快な方法や切り口があるんじゃないか"的な思考回路にシフトできればと思ってます。
でもこれは結果ありきなので、出力やテストは忘れずに。
一応その出力手始めとしてのブログでもあります。
以上、駄文散文失礼致しました。